あさって画廊
■抽象画(アブストラクトアート)って何?

 グーグルのAIに聞くとこういう返事が出てきます。

「アブストラクトアート(抽象芸術)とは、目に見える具体的な対象(人、物、風景など)をそのまま再現せず、色、形、線、構成といった純粋な造形的要素だけで表現する芸術ジャンルです。

主な特徴や歴史を簡潔に紹介します。

1. 主な特徴
非対象・非写実: 現実の世界にあるものを正確に描写することを目的としません。
主観的な表現: 画家の感情、思想、音、精神性など、目に見えないものを視覚化しようと試みます。
多様な解釈: 決まった正解はなく、鑑賞者がそれぞれの感覚で自由に感じ取ることが重視されます。

2. 歴史と代表的な画家
20世紀初頭にヨーロッパで誕生し、その後アメリカを中心に発展しました。
・ワシリー・カンディンスキー: 抽象画の先駆者の一人。音楽のような精神的な響きを色彩で表現しました。
・ピエート・モンドリアン: 垂直線・水平線と三原色を用いた幾何学的な様式(デ・ステイル)を確立しました。
・ジャクソン・ポロック: キャンバスに絵具をぶちまける「アクション・ペインティング」で、制作行為そのものを芸術としました。

3. なぜ「アブストラクト」なのか
「Abstract」には「抽出する」「切り離す」という意味があります。これは、現実の物体からその形や色などの要素だけを「抜き出して」再構成することに由来しています。 」

●芸術はすべて、自分自身を表現すること

 アートにしろ音楽にしろ、芸術と呼ばれるものの本質が、究極のところ<自分の内なるものの表現>であるというのは共通するところだろうと思います。
 私が最初にそんなことを思い始めたのは、写真に取り組みながら森山大道(※1)などの本を読みだしたころです。内容は難しくて十分に理解できませんでしたが、少なくとも写真というものが、<自分>あるいは<自分と世界>または<自分と社会>についての、自分の感覚や思想の表現であるということは受け止めることができました。
 たとえば記録写真というものがありますが、その場合であっても、何を記録しようとしているのか、何の目的で記録しようとしているのか、その記録が自分にとってどういう意味があるのか、そこにはやはり<自分の内面>が入り込んでいるはずなのです。
 もしそこに<自分>が入っていなければ、それはアート表現としての写真にはなっていないということです。風景写真で考えてみると、目の前に広がる風景に何らかの作用(感動とか、驚きとか、疑問とか)を受け、自分の中に沸き起こった<もの>をフィルムや印画紙に記録しようとする行為だと言えます。当たり前のことですが、その感動とか驚きとかは、自分自身のものであるはずです。とろこが、中にはそうではない場合も多いのです。「この撮影ポイントは有名で、大勢が集まるから自分も行こう」とか、「ここの風景はこのアングルで撮るのが一番だと雑誌に載っていた」とか、「〇〇先生のお勧めだから」とか。これではモノマネであって、アートとは言えません。そこには技術至上や評価至上というような価値観が、撮影者(表現者)の内面として見えてきます。そういう偽物アートに私自身もはまりそうになり、それに気付いて反吐が出る思いで捨てたのです。

 そうなってみれば、あとに残るのは何なのか。自分の内なるものをそのままストレートに出そう、ということになります。自分自身の感覚を最大限に尊重する。世間の常識や価値観に惑わされない。カラスが金色に見えたり、山が暗闇に思えるかもしれない。目の前がただただ茶色と白のまだらに感じたり…。自分が感じたそのままを、独自の色や線や形で表現する。それが世間で抽象と呼ばれるものなのだろうと思います。先ほどのAIの答えにある「抽出する」「切り離す」というものが、この<自分の内なるもの>だということです。
 ではその自分の内なるものを、どうやって出すのか。いや、出す前に、いったい自分の内なるものとはどういうものであるのか。どんな色、どんな形のものであるのか。そんなことをもんもんと考える時がありました。

●抽象画の先人たち

 そんな時に、私が引き寄せられた先人たちがいました。前衛書道の奎星会もその一つでした。同じ福井出身の稲村雲洞(※2)は私の父の知り合いでもあり、私自身子供のころから目にすることが度々ありました。モノクロ写真をやっていた自分には、同じ白と黒の世界であのような力強い画面を生み出すアートに強く惹かれました。墨でネガを作る抽象写真をやりだしたのは、その影響があったからだと思います。
 そしてもう一つ強いインパクトを受けたのが、具体美術協会です。そして多分具体という存在を知る前だったと思うのですが、テレビで見た白髪一雄(※3)です。その制作の様子を見た時は、ただの奇をてらったお遊びのようにも思いました。しかし具体についての本を読み、メンバーたちがあの手この手で既成の枠をぶち壊し、吉原治良(※4)をうならせようとする取り組みを知るとき、そこにあるのは単に奇をてらうものではなく、新しい時代を切り開こうとする強靭な精神性だと感じました。のちに具体や白髪の回顧展を観るために何度か兵庫県などへ足を運びました。そこで観たものは絵というよりは動いている物体という感じでした。観る者を圧倒するような。

 もう一人挙げるとすれば、フランク・ステラ(※5)です。いつだったかテレビで彼へのインタビュー番組を観ました。80年代以降の巨大な立体作品を作っていたころです。その中で飛び出した彼の言葉が、私の中にとても大きく入り込みました。それは、「観る人に瞬間的にどれだけ大きなインパクトを与えられるか。それ以上の責任を私は持たない」というものでした。これだ!という強い共感がありました。
 観る人に何らかのインパクトを与える。そこにアートの存在意味があるように思います。
 それにつけて思い出すことがあります。私がまだ小学生だったころです。父に連れられてある美術展に行きました。そのころ福井市にはまだ美術館はありません。大きな展覧会などは福井市体育館で開かれました。そこで私はある巨大な絵?を観たのです。縦横何メートルもあったような記憶です。見上げるその画面には、自転車の車輪や籠のようなもの、訳の分からないゴミのような物体がゴチャゴチャと貼り付けてありました。まさしく強烈なインパクトを与えられたようで、今でも記憶に残っているのです。今考えるとおそらく、福井県三国町におられた小野忠弘(※6)さんの作品だったのだろうと思います。小野さんのジャンクアートはその後も幾度となく目にしました。でもやはり、子供の時に観たインパクトが最大でした。私のアート遍歴のもっとも根底にある作品だったのかもしれません。今でも、ぐにゃぐにゃゴチャゴチャが一番落ち着くのは、きっとそのせいです(^^;)。

 稲村にしろ白髪にしろステラや小野にしろ、既成の枠を振り捨てて、自分自身の内なるものとビビーンと同調する表現をひたすら求めたのだろうと思います。写真をやっていたころの私は頭で制作していたようです。夜寝ながら、作品の制作方法をあれこれ考えていたこともありました。今思えば、無駄な努力だったようです。<自分の内なるもの>は自然と出てくるものだったのです。出てきたかどうか、どうやって分かるのか。それがこの<ビビーンと同調する>ということなのです。目の前に出てきた表現に、自分自身がビビーンと来た時、「これだ」と分かるのです。

 そしてもう一つ。そうやって出てきた作品を、今度は観てくださる人がいて、その観てくださる人に<ビビーン>が現れるのです。個展をやっていて、見ず知らずの人がたまたま道を歩いていて、ガラス越しに観た私の作品に引っ張られ、その場で買ってくださるということがあります。まさに<ビビーン>と同調してくださったのだと思います。この<ビビーン>が、もっとも純粋に起こりやすいのが、アブストラクトアートだと思っています。

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※1●森山大道(もりやま だいどう、1938年〜)は、日本を代表する世界的な写真家。「写真のノーベル賞」といわれるハッセルブラッド財団国際写真賞(2019年)を受賞するなど、国際的に極めて高い評価を得ている。粗い粒子(アレ)、手ブレ(ブレ)、ピントの不一致(ボケ)をあえて強調した、過激でスキャンダラスな作風で知らる。カメラを携えて街を歩き、目に留まった光景を瞬時に切り取るスタイルが基本。代表作:写真集『にっぽん劇場写真帖』、強烈な野良犬のカットで有名な『狩人』、挑発的なスタイルの頂点とされる『写真よさようなら』など。
※2●稲村雲洞(いなむら・うんどう、1924年福井県生まれ、2016年91歳で亡くなる)は、日本の現代書壇を代表する前衛書家。伝統的な書道の枠を超え、文字の形にとらわれない独自の芸術表現を追求した人物として知られている。 師匠である宇野雪村の流れを汲み、「文字性と非文字性」や「柔と剛」「鋭と鈍」といった相反する要素を融合させた、エネルギー溢れる書風を確立した。毎日書道会の最高顧問や、前衛書道の団体である奎星会の会長・最高顧問を歴任し、書道界の発展に大きく貢献した。
※3●白髪一雄(しらが かずお、1924–2008)は、戦後日本の前衛芸術を牽引した具体美術協会(具体)の中心的メンバーであり、世界的に高い評価を受ける抽象画家。「フット・ペインティング」の創始者。天井から吊るしたロープにつかまり、床に広げたキャンバスの上を素足で滑るようにして描く、独自の「アクション・ペインティング」で知られる。身体の躍動がそのまま絵具の塊(マチエール)として残るダイナミックな作風が特徴。吉原治良が率いた「具体」の「人のまねはするな、今までにないものを作れ」という理念を体現し、絵筆を捨てて体で描くという過激な手法を確立した。
※4●吉原治良(よしはら じろう、1905–1972)は、戦後の日本美術界を牽引した前衛画家であり、実業家(吉原製油社長)。1954年、兵庫県芦屋市を拠点に「具体美術協会」を結成。白髪一雄や田中敦子ら若手作家に対し、「人のまねをするな」という徹底した独創性を求め、日本の現代美術を世界的な水準へと押し上げた。晩年の1960年代からは、一貫して「円」をモチーフとした抽象画を描き続けた。黒や赤の背景に、力強く、あるいは繊細に描かれた一筆書きのような円は、彼の代名詞として世界的に高く評価されている。若き日に画家・藤田嗣治から「他の誰かの影響が見える」と厳しく批評されたことが、生涯のモットーである「独創性の追求」に繋がったと言われている。
※5●フランク・ステラ(1936年 - 2024年)は、20世紀後半のアメリカ現代美術をリードした巨匠。彼は「見たままが全て(What you see is what you see)」という有名な言葉を残し、感情や意味を排除したミニマリズム(最小限主義)の先駆者として知られている。 1950年代末、黒いストライプを描いたストイックな作品で、当時の感情的な抽象表現主義に反旗を翻し、若くして注目を集めた。四角い枠にとらわれない「変形キャンバス(シェイプト・キャンバス)」を使い、絵画を「窓(何かを描いたもの)」ではなく「物体」として再定義した。初期は極めてシンプルだったが、後半生は一転して極彩色で立体的、かつ巨大な彫刻作品へと作風をダイナミックに変化させた。
※6●小野忠弘(1913–2001)は、廃棄物(廃材)を用いた「ジャンク・アート」の先駆者として世界的に知られる現代美術家。自転車の車輪やガラス玉などの廃品を材料にした独創的な半立体作品を制作。1960年代には「世界のジャンク・アーティスト7人」の一人に選ばれ、サンパウロやヴェネツィアのビエンナーレでも高く評価された。青森県弘前市に生まれ、東京美術学校(現・東京藝術大学)を卒業後、29歳で福井県の三国高校に美術教師として赴任。その後、没するまで約60年間、三国の地で創作活動を続けた。晩年も「BLUE」や「Silver」シリーズなど、従来の枠にとらわれない旺盛な探究心を失わず、常に前衛(アヴァンギャルド)であり続けた。